今日のコラム

☆3月22日は放送記念日

1925年(大正14年)の今日、東京・芝浦に設けられた東京放送局仮スタジオから日本初のラジオ仮放送が行なわれたことを記念して、NHKが1943年(昭和18年)に定めた日。
東京・芝浦にある東京高等工芸学校の仮スタジオから第一声が流れたのは午前9時30分。
 京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」が第一声。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆3月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

迷いと判断

私は極小の商売から今日までの間、たとえば“新しい仕事をすべきか否か”を決める場合、全部自分一人で決断してきたかというと、決してそうではありません。自分はやりたいと思うけれども、それだけの力があるかどうか自分で判断がつかないというときも実際ありました。

そういうときにはどうしたかというと、第三者にすっかり打ち明けて「いまこういうことで迷っているんだ、君ならどう思うか」と尋ねました。すると、「それは松下君、あかんで」「君の力やったらやれる」といろいろ言ってくれる。迷ったときには、私は得心のいくまで他人の意見を聞いてみるということをやりながらだんだん大きくなってきたのです。



☆【コラム】筆洗

2015年3月21日 東京新聞TOKYOWeb

▼地獄にも歓楽街があり、芝居小屋もあれば寄席もある。あの世の芸に触れれば、この世の芸など見られなくなる

▼それはそうだろう。歌舞伎で忠臣蔵をやれば、初代から歴代の団十郎が勢ぞろい。寄席の看板を見れば、三遊亭円朝に文楽、志ん生、円生。上方なら先々代と先代春団治の親子会、そして桂米朝…

▼「…米朝という名前で死んだ噺(はなし)家はおまへんが、あらまだ生きてんと違いますか」「よう見てみなはれ。肩のところに近日来演と書いてありまんがな」。上方落語の大ネタ『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』で、そうくすぐって観客を笑わせていたのは、桂米朝さんその人である

▼上方落語は滅びるといわれた時代に噺家となり、多くの噺を掘り起こし、つくり直して、命を吹き込んだ。米朝師匠なくば、『地獄八景…』も地獄の寄席に行かねば聞けない噺になっていたのだ

▼<春の雪誰かに電話したくなり>。品格と知性があり、艶もある。そんな芸風と人柄は「八十八」の俳号で詠み続けた句にもにじむ。長男の米団治さんらによると、米寿を迎えたころから「きれいに枯れていき」、最期も実に「きれい」な大往生だったそうだから、逝き方もまた芸風そのものだったのだろう

▼あの世の寄席では早速「本日来演」の看板が出ているだろうか。先立った愛(まな)弟子の枝雀さんらとの競演に、地獄の鬼も涙が出るほど笑い転げるはずだ。


☆ 今朝もよく晴れています。太陽が眩しいです。花粉もたくさん飛んでいるそうです。目がかゆいです。今朝も目覚ましていただき感謝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆



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