今日のコラム

☆ 今日は7月12日(日) ラジオ本放送の日 ☆

☆ 1925年7月12日、東京都港区の愛宕山(標高26メートル)に立てた高さ45メートルの鉄塔からNHKの前身の東京放送局がラジオの本放送を始めた。NHKによると、出力は1キロワットと弱かったものの、電波は都内と首都圏の一部に届いたという。

 ラジオを聞くには当時としては安くない月額1円が必要だったが、開始翌年の8月には登録は22万件にまで増えたという。当時は、ラジオドラマと落語の生放送が人気で、新聞社提供のニュースのほか、料理講座、英会話講座もあった。

 仮放送が始まったのは1925年3月22日だった。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆


☆ 7月12日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

みずからをつかむ

人それぞれに顔かたちが違うように、人間は誰しも、一人ひとり違った素質、才能を持っている。ただそれらは、顔を鏡にうつすごとくには表面に出にくい。

しかし、そういう自分の素質とか才能というものを自分でしっかりとつかみ、そしてそれを日々の活動に、ひいては人生に生かすことができたら、どれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味というものを味わうことができるだろうか。

一人ひとりが他と違ったものを持ち、そして日々新たに発展していく。そこには苦しみもあろうが、何物にもかえがたい喜びもあるはずである。


☆【コラム】筆洗

2015年7月11日 東京新聞TOKYOWeb

▼そのラジオ放送といえば、内容の重大さとは裏腹に、当時の人々には聞こえにくかった、理解できなかったという「記憶」をよく聞く

▼一九四五(昭和二十)年八月十五日正午、昭和天皇が終戦を国民に告げた玉音放送である。難解な表現を文字ではなく、音声で聞いても胸に落ちにくかったに違いない。まして当時のラジオの性能である

▼聞きにくさもこれほどか、という逸話を作家の小松左京さんが書いている。当時十四歳で放送を工場で聞いた。やはり、「必死に聞き取ろうとしたが、理解できなかった」そうだ

▼放送後、担任教師は興奮し、演説を始めた。「ただいま陛下はポツダム宣言を離脱されたといわれた。ますます聖戦の完遂にむかって邁進(まいしん)すべきである。ただちに午後の作業にかかれ!」。受諾を「離脱」と誤解し、生徒の一人が「負けたのでは」と尋ねると「きさまは何を聞いとったのか」と殴りつけた。以来、耳が悪くなったというから、ひどい話である

▼宮内庁が、玉音放送の「録音盤」の原盤を来月一日に初公開する。デジタル録音した音声も聞ける。当時より、格段に聞きやすくなっているはずだ

▼当時の国民の声もどこかに残っていないか。詮ない願いとはいえ、戦争の記憶が遠のく今、日本人がもう一度耳にすべきは、玉音放送後、日本中に漏れた、悲しみまじりの安堵(あんど)の声の「録音盤」かもしれぬ。


☆ 今朝も良い天気です、今日は高温で、蒸し暑い日になりそうです。35度の予報です。
水分を補強して、熱中症に気をつけましょう。

昨日も、高温で、蒸し暑かったです。寝苦しい夜でした。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

外に出ないで、ラジオでも聴いています。


今日も皆さまにとって良い一日でありますように。

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