今日のコラム

☆ 今日は8月18日(火) 高校野球記念日 ☆

☆ 1915(大正4)年、大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開会しました。
 全国73校から地区予選を勝ち抜いた10校が参加し、京都二中が優勝しました。
 第10回から会場が甲子園球場になり、学制改革により1948(昭和23)年から全国高校野球選手権大会となりました。 ☆



☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆



☆ 8月18日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人材を引きぬけば……

職場で、この人はなくてはならない非常に重要な人であり、余人にはかえがたいと思っていた人が、ある事情でその仕事を離れました。そこで当然、戦力のダウンが生ずるであろうと考えていたら、不思議なことにその部なり課の成績が上がったということがあります。
これは、あとを受け継いだ人が大いに力を伸ばし、かえってよい結果を生んでいるということに他なりません。ですから私は、すぐれた人材を他の部門に起用する必要があるというような場合、躊躇せずこれをやるべきだと思うのです。

あえてそれを行なうことが、往々にして人材の育成に結びつく場合が少なくないということを体験してきたのです。  ☆


☆【コラム】筆洗

2015年8月16日 東京新聞TOKYOWeb

▼映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などの俳優三木のり平さん(一九二四~九九年)の元に、召集令状の赤紙が届いたのは四五(昭和二十)年の夏だった

▼国のために死ぬ覚悟さえ固めていたが、結局、兵隊にとられることはなかった。入隊予定日が終戦の三日後の八月十八日だったためである。「戦争に行かなくていいのか」

▼七十年前の終戦日を国民はどう受け止めたか。<戦争は終わった 私は心中「シメタ!」と思った>(小沢昭一さん『わた史発掘』)<終わったーっ 生きてるぞ 生きのびたんだー>(手塚治虫さん『紙の砦(とりで)』)

▼戦争終結を知った喜びや安堵(あんど)感は想像できる。されどその夜、じわじわと襲ってきたのはむしろ「これからどうなるか」の不安だったのではないか

▼実際、終戦直後は戦時中よりも食糧や生活物資の入手は困難で、焼け跡での食うや食わずの生活が続く。終戦、そしてその後の平和な日本。これはあまりにはしょり過ぎた歴史であり、焼け跡での壮絶な苦しみが十五日以降に待つ。それも、やはり戦争の「罪科」なのである

▼のり平さんは十五日夜、ひそかに家を出て隅田川にある荷物を沈めた。千人針や軍人手帳などを詰めた袋。これからやって来る米兵に見つかれば、殺されると考えた。のり平さんの得意の文句ではないけれど戦争が終わっても平和は「パーッと」は来なかった。 ☆

☆ 今朝はくもり空です、晴れて暑くなるそうです。水分を補給して、熱中症に気をつけましょう。

昨日、夕方の雨で昨夜は涼しく眠れました。

昼間は蝉の大合唱が有ります。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆



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